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行方不明だった息子が伝道活動のおかげで母親と再会

                                

「わたしたちは一緒に病院に行き、少量の髪の毛と口腔内の粘膜を採取されました。2週間後、わたしたちのDNAが99%一致するという診断を受けました。わたしは本当に彼女の失われた息子なのです!」―チュン・チェン長老、カリフォルニア州サンノゼ伝道部

両親が彼をある公園に連れて行ったとき、チュン・チェンはまだ4歳にも満たない小さな男の子でした。彼は両親とはぐれてしまい、コインを入れて遊ぶビデオゲーム機が並ぶゲームセンターをみつけました。彼は夢中になりましたが、ふと両親がいないことに気づきました。泣きじゃくる彼のところに人が集まってきて、食べ物をくれたり慰めたりしてくれました。

その人たちは彼にいろいろと聞いてみましたが、彼は知らない人とは決して話してはいけないと両親から念入りに教えられていました。親切な夫婦が警察署へ連れて行ってくれましたが、そこでも彼がたくさんの質問に答えることはありませんでした。そして一日か二日経った後、彼は孤児院へ連れていかれ、そこで16歳まで過ごすことになったのです。

両親は血まなこになってありとあらゆる場所を探しました。警察へも行きましたが、おそらく息子さんは誘拐されてしまったのでしょう、と言われてしまいました。1990年当時の台湾・台北では珍しくないことだったのです。彼らは長い年月、涙に暮れて過ごしました。

少年はチュン・チェンと言う新しい名前をもらい、極めて厳格に管理統制された孤児院の生活に徐々に慣れていきました。6時に起床し、6時半に朝食を食べた後にシャワーと着替え、そして登校、4時半に帰宅、6時夕食と掃除、7時宿題、9時にベッドに入り、10時までには眠りにつくと言う生活でした。土曜日にはバスケットボールをしに、そして日曜日には聖書を勉強しに教会へ行きました。

現在カリフォルニア州サンノゼ伝道部で奉仕しているチェン長老は語ります。「(孤児院は)キリスト教の教会によって運営されていましたが、まるで牢獄のように感じました。幼児から中学生まで約70人の子どもがいました。いじめが横行し、わたしはしばしばその標的になりました。」

成長するにつれ宿題をまじめにやるようになると、良い成績を取ってご褒美がもらえるようになりました。しかし、他の子どもたちはそれをねたみ、いじめがエスカレートしました。

「先生たちまでもがわたしたちをいじめました。おそらく孤児院は良い先生を雇う余裕がなく、誰でもいいから雇える人を雇うしかなかったのでしょう。」チェン長老は振り返ります。「5年生くらいになって背が伸び始め力も強くなってきてからは、自分の身を守れるようになりました。いじめっ子たちは自分にかまわなくなりましたが、悲しいことに、今度は自分自身がいじめっ子になってしまいました。わたしは、世界は暴力によって動いているのだと思いました。」

                                      

彼はこの頃のことを人生の暗黒時代と呼びました。中学を卒業する頃には、彼は孤児院を出るのが待ち遠しくて仕方がなくなっていました。孤児院も彼が出ていくのを喜びました。彼はしばらく友人と同居しましたが、すぐに一人暮らしを始めました。何年か経ち、彼はもっと良い人生があるのではないかと思うようになりました。

ある日、彼はたまたまある教会に足を踏み入れ、中に入ってみることにしましたが、鍵がかかっていて入ることができませんでした。その場所を去ろうとしたその時、二人のモルモンの宣教師が自転車に乗ってやってきました。宣教師たちにバスケットボールはするかどうか尋ねたところ、彼らがバスケットボールをすることが分かりました。すぐに彼は宗教について学び始め、新しい友人もできました。

「教会員は全く違っていました。彼らはわたしが誰なのかもわたしの身分さえも尋ねようとしませんでした。」チェン長老は語りました。「彼らは気さくで幸せな人たちで、まるで家族のように自分に接してくれました。わたしの人生を覆っていた暗闇は晴れていきました。」

宣教師たちは教会員の中の一人の女性に彼のレッスンを助けてくれるように頼みました。ホン姉妹は彼と宣教師たちを家に招待し、よく食事をご馳走しました。

ある日、彼女はチェン長老に「わたしはあなたと前に会ったことがある気がするのです。あなたのことを知っていると思うのです。」と言いました。彼女はたくさんの質問を訪ねましたが、彼は孤児院で育ったことを誰にも知られたくなかったので、適当な作り話をして答えました。彼女は行方不明になった息子について伝えると、涙を流しました。彼女は彼が自分の息子ではないかと感じ、自分と一緒にDNAテストを受けて欲しいと彼に懇願したのです。

                                 

「わたしたちは一緒に病院に行き、少量の髪の毛と口腔内の粘膜を採取されました。2週間後、わたしたちのDNAが99%一致するという診断を受けました。わたしは本当に彼女の失われた息子なのです!」

教会が彼らを結びつけたのです。彼は自分の家族である兄、妹、弟と会いました。母親は、天にも昇るような気持ちでした。彼女は、ずっと彼の衣服やおもちゃを取っておいたけれども、5年ほど前にあきらめてすべて捨ててしまったことを話してくれました。悲嘆にくれた長い年月の後で起こったこの奇跡について、彼女は主に感謝を捧げました。

彼は母がまだ若いときに仕事を探すために台湾・台北に来たことを知りました。彼女はある歯科医のもとで働く仕事を見つけ、二人は恋に落ち結婚したのです。間もなく二人は末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗しました。父親はチェン長老が家族を見つける前に亡くなっていました。

                           

彼は最初宣教師たちに出会って教会について学んだ時、多くの質問がありました。しかし母親の信仰と奇跡的な再会のおかげで証を得て、2011年9月にバプテスマを受けたのです。母親は彼に英語を学んでほしいと思い、彼をアメリカへ行かせました。

現在28歳であるチェン長老は、フルタイムの宣教師として奉仕しています。宣教師としての生活は、厳格に統制された孤児院での生活と重なる部分がありますが、彼はもう孤独を感じることはありません。主に仕えることにより、慈愛はキリストの純粋な愛であることを知ったのです。彼は同胞や家族のために仕えることが大好きです。人々に仕えることが、家族や自分の仕える人々に対する愛を増し加える助けとなりました。彼はイエス・キリストの福音によりもたらされる光を分かち合うことに喜びと熱意を感じています。

記事のハイライト

・チュン・チェンは3歳の時に両親と離れ離れになりました。知らない人とは話そうとしなかったため、孤児院に入れられてしまいました。

・宣教師と出会うまで、彼は孤独でした。宣教師たちはワードのある姉妹をレッスンに連れてきたのですが、彼女は、彼が行方不明になった自分の息子であるように感じました。DNAテストを受けると、彼らのDNAは一致していることが分かりました。

・彼はバプテスマを受け、現在カリフォルニア州サンノゼ伝道部で奉仕しています。

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