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十二使徒定員会

12人のうちの一人は取税人、数名はガリラヤの海で働く漁師でした。彼らは召しを受けると、自分たちを召された御方の、世界に向けた証人となることに献身しました。

彼らは12人の主要な弟子、言い換えると、2000年近く昔にイエス・キリストによって選ばれた使徒でした。

現在、同じ職を持つ人々は、法律、事業、医学、教育、司法を含む様々の分野からの出身です。奉仕の召しを受けた時、彼らもキリストの証人としての奉仕に専念するため、それぞれの職業から引退しました。

彼らは末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会員です。

現代の十二使徒定員会は1835年に組織されました。イエス・キリストによって設立された教会が文字通り地上に回復されたことを示す一つの実例です。

十二使徒定員会は教会の第2位の管理組織です。十二使徒定員会の会員は大管長会の指示のもとで働きます。大管長会は大管長と二人の顧問の合計3名からなる管理組織です。

使徒たちは世界中でキリストの御名の特別な証人となるという第一の責任に加えて、全世界の教会が着実に進歩発展するのを見届けるという大きな管理責任を負っています。

昔同じ職にあった人々と同様、今日の使徒たちは世界中を旅して、教会員を強め、励まし、新しい会衆を組織し、教会の業務を実施しています。そうした中で、新たな国に教会を設立する許可を得るため、国家の指導者と会見することがあります。

現在の十二使徒定員会会員は次の通りです。

M・ラッセル・バラード会長代理

M・ラッセル・バラード長老は末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会の一員です。1985年10月6日に使徒として召されて以来,全世界を旅し、教会員を教え、世界中の教会の日常業務を管理してきました。

1928年10月8日、ソルトレーク・シティーにおいてメルビン・R・バラードとジェラルディン・スミス・バラード夫妻のもとに生まれました。ユタ大学に在籍しました。

青年時代にはイングランドで伝道し、伝道部会長会の顧問として奉仕しました。また2度、ビショップとして奉仕しました。

1974年、カナダ・トロント伝道部の伝道部会長として召され、1976年4月に七十人第一定員会に召されるまでそこで奉仕しました。七十人の会員として、割り当てを受けた地域で指導者を訓練し、管理しました。後の1980年2月から1985年10月まで七十人会長会の一員として奉仕し、教会の七十人定員会を監督しました。バラード長老の働きの多くは伝道活動に集中しています。

専任の教会指導者に召される前、バラード長老は自動車産業、不動産、投資事業に携わりました。教会と民間で多くの委員会や理事会で働きました。

1951年8月28日、バーバラ・ボーウェンとソルトレーク神殿で結婚しました。夫妻には、2人の息子と5人の娘がいます。

ジェフリー・R・ホランド長老

ジェフリー・R・ホランド長老は、1994年6月23日に末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会の一員に聖任されました。この召しを受けるまで、彼は1989年4月1日以来、七十人第一定員会の会員として奉仕してきました。

1980年から中央幹部に召される1989年までの間、ジェフリー・R・ホランド長老はユタ州プロボにあるブリガム・ヤング大学で9代目の学長を務めました。ホランド長老は教会教育委員長、BYUの宗教教育学部学部長を歴任してきました。

ユタ州セントジョージで生まれ、地元のディキシー高校とディキシーカレッジに通い、学生リーダーや学校代表選手として活躍しました。またブリガム・ヤング大学では、英文学と宗教教育学で学士号と修士号を取得しました。またエール大学では、アメリカ研究の修士号と博士号を取得しました。

ホランド長老は、教会の専任の召しを受ける前は、教育活動の専門家として活躍していました。AAPICUの理事長、NAICU の役員、全米大学体育協会(NCAA)学長委員会委員として働きました。キリスト教徒とユダヤ教徒の相互理解の向上に尽力したことにより、ユダヤ人文化教育促進協会の名誉毀損防止連盟 から「自由の灯賞」を受賞しました。また、多数の市民団体や民間企業の運営委員会で奉仕したほか、ボーイスカウトアメリカ連盟から“Distinguished Eagle Scout”(卓越したスカウトに与えられる最高の賞)を受賞しました。これまで8冊の本を出版し、そのうち、一冊は妻パトリシアとの共著です。

ホランド長老は、1940年12月3日、フランク・D・ホランドとアリス・ベントレー・ホランド夫妻のもとに生まれました。1963年、パトリシア・テリーと結婚し、3人の子供がいます。

ディーター・F・ウークトドルフ長老

ディーター・F・ウークトドルフ管長は2008年2月3日、末日聖徒イエス・キリスト教会大管長会第二顧問に召されました。2004年10月2日、末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会会員として支持されました。1994年4月以来、中央幹部を務めています。

ディーター・F・ウークトドルフ管長は1940年11月6日、チェコスロバキアのオストラウで、カール・アルバート・ウークトドルフとヒルデガルド・エルザ・オペルト・ウークトドルフを両親として生まれました。ドイツのツウィッカウで育ち、そこで1947年に家族が教会に入りました。家族は1952年にフランクフルトに渡り、そこでディーターは工学を学びました。1959年にドイツ空軍に入隊し、戦闘機パイロットとして6年間過ごしました。

デビッド・A・ベドナー長老

デビッド・A・ベトナーは2004年10月7日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒の一員として召され、聖任されました。十二使徒定員会の召しに先立ち、ベトナー長老は地域七十人、地域幹部七十人、地区代表を務め、ステーク会長として2度、ビショップとして1度奉仕しています。

ベトナー長老は1952年6月15日にカリフォルニア州オークランドで生まれました。ドイツ南部伝道部で専任宣教師として奉仕した後、ブリガム・ヤング大学で学士号と修士号を取得しました。また、パデュー大学で組織行動学の博士号を取得しています。

学業を終えると、ベトナー長老はテキサス工科大学とアーカンソー大学で経営管理学の教授として教鞭を執りました。その後、1997年から2004年までブリガム・ヤング大学アイダホ校(旧リックス・カレッジ)の学長を務めました。

ベトナー長老は1975年3月20日、スーザン・ケイ・ロビンソンとソルトレーク神殿で結婚し、3人の息子がいます。

クエンティン・L・クック長老

2007年10月6日、クエンティン・L・クック長老は末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会の一員として支持されました。1996年4月、中央幹部に召され、七十人第二定員会、第一定員会、七十人会長会で奉仕しました。

七十人として、フィリピン地域会長会、太平洋諸島地域会長、北アメリカ北西地域会長、宣教師管理部の管理ディレクターを務めました。

教会の中央幹部に召されたとき、サター健康管理システムの副会長を、またその前には、カリフォルニアの健康管理システム会社の社長兼最高経営責任者を務めました。その前は、サンフランシスコ湾地域の法律事務所でビジネスを扱う弁護士として、また共同経営者として働きました。長老は営利、非営利団体の役員を務めました。

教会では、ビショップ、カルフォルニアサンフランシスコステークのステーク会長と顧問、北アメリカ西地域の地区代表と、地域幹部を歴任しています。青年時代はイギリス伝道部で伝道しました。

ユタ州ローガン生まれ育ち、ユタ州立大学で政治学の学士号を、スタンフォード大学において法学博士号を取得しました。

1962年11月30日、メアリー・ギャディーと結婚し、3人の子供がいます。

十二使徒定員会、クエンテイン・L・クック長老

D・トッド・クリストファーソン長老

2008年4月5日、D・トッド・クリストファーソン長老は末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会に召されました。召しを受けた時、クリストファーソン長老は七十人会長会で奉仕していました。

七十人会長会に在職中、クリストファーソン長老は教会の北アメリカ西、北西、南東地域を管理する責任にありました。また家族・教会歴史部門の管理ディレクターとしても奉仕していました。それ以前、教会のメキシコ南地域会長としてメキシコシティーに住んでいました。

専任の教会中央幹部として召される前、クリストファーソン長老はノースカロライナ州シャーロットでネーションバンクコーポレーション(現バンクオブアメリカ)の企業内次席法律顧問を務めていました。ナッシュビルのテネシー商業連合銀行(Commerce Union Bank of Tennessee )では上級副取締役および法律顧問でした。テネシーでは、地域活動や宗教を超えた様々な団体でも活躍しました。クリストファーソン長老は、合衆国地方裁判所判事ジョン・J・シリカ(1972-1974)の法務書記を務めた後、1975年から1980年までワシントンD.C.で弁護士として働きました。

ユタ州プレザントグローブで生まれ、ニュージャージー州の高校を卒業後、ブリガム・ヤング大学でエドウィン・S・ヒンクレー奨学生として学士号を取得し、その後デューク大学で法律の学位を取得しました。

教会のその他の召しでは、地区代表、ステーク会長、ビショップなどを歴任しました。青年時代、アルゼンチンで宣教師として奉仕しています。

クリストファーソン長老と妻のキャサリン・ジェーコブ・クリストファーソンには5人の子供がいます。

ニール・L・アンダーセン長老

ニール・リンデン・アンダーセン長老は2009年4月4日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒に任命されました。

アンダーセン長老は、十二使徒定員会の召しを受ける前に七十人会長会の先任会員として奉仕していました。1993年4月、41歳にして七十人第一定員会の会員として任命されました。以前は南ブラジルで教会の業を指導しました。その後、再び地域会長会の一員として西ヨーロッパの教会を監督しました。またメキシコや中央アメリカの教会の業を指導する手助けをしてきました。そのほかにも、「聖書:一つの群れ一人の羊飼い」)の撮影を含む教会の視聴覚教材製作を監修したり、教会視聴覚部の管理ディレクターとしてカンファレンスセンターの放送設備建設を管理したりしました。母国語の英語に加え、フランス語、ポルトガル語、スペイン語を話します。

中央幹部として召される前、アンダーセン長老はフランス・ボルドー伝道部で伝道部会長を、そしてフロリダ州タンバステークのステーク会長を務めました。

アンダーセン長老はユタ州ローガンで生まれ、アイダホ州ポカテロの酪農家で育ちました。「朝から晩まで働く、典型的なアイダホの農場」でした。高校生の時、生徒を束ねる才能を発揮して、アイダホ・ボーイズ・ステートの知事を務めました。

ヒンクレー奨学生としてブリガム・ヤング大学を卒業しました。ハーバード大学ではMBA(経営学修士)を取得しました。教育を終えた後、フロリダ州タンバに居を構え、広告業、不動産開発業、健康事業を展開しました。

アンダーセン長老と妻キャシー・ウイリアムズ・アンダーセンには4人の子供がいます。

ロナルド・A・ラズバンド長老

ロナルド・A・ラズバンド長老は2015年10月3日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒に任命されました。

十二使徒に召されたときは、七十人定員会会長会の先任会長として奉仕していました。

ラズバンド長老は、2009年4月4日、七十人会長会の先任会長に召されています。
それ以前の2000年4月1日に、末日聖徒イエス・キリスト教会七十人第一定員会の一員として任命され、2005年から七十人会長会の一員として奉仕してきました。これまで、ヨーロッパ中央地域会長会顧問、ユタ州ソルトレーク・シティー地域会長、神殿部管理ディレクターとして奉仕し、七十人会長会の一員としては、北アメリカ西地域、北西地域、ユタ州の3地域を管理してきました。

ラズバンド長老はユタ大学に在籍しました。1995年にはユタバレー州立カレッジより商学部の名誉博士号を授与されています。1976年ハンツマンコンテイナー社に営業マンとして入社し、1987年にハンツマンケミカル社の社長兼最高執行責任者に任命されています。

1996年、ニューヨークの伝道部会長として召しを受けたとき、ハンツマンケミカル社を離れましたが、役員会にはとどまりました。

ラズバンド長老は、東部諸州伝道部の専任宣教師(1970年から1972年)、テンプルスクエアーガイド宣教師、ビショップ、教会150周年委員会の一員など、教会の召しを数多く果たしています。1996年から1999年までは、ニューヨーク州ニューヨーク北伝道部を管理していました。

ラズバンド長老は1951年ユタ州ソルトレーク・シティーで生まれ、1973年メラニー・トウィッチェルと結婚しました。夫妻には5人の子供と24人の孫がいます。

ゲーリー・E・スティーブンソン長老

ゲーリー・E・スティーブンソン長老は2015年10月3日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒に任命されました。

召しを受けたとき、スティーブンソン長老は教会の管理ビショップとして、2012年3月から奉仕していました。またその前は七十人第一定員会で、2008年から奉仕しました。

スティーブンソン長老は、1955年8月6日にエバン・N・スティーブンソン、ベラ・ジーン・スティーブンソン夫妻の間に生まれ、ユタ州キャッシュ・バレーで、開拓者を先祖とする家族の中で育ちました。青年時代には日本での伝道の召しを受けいれました。この責任を通してスティーブンソン長老の心に植え付けられたアジアに対する愛と、福音を分かち合うことに対する愛は、生涯に渡って続いています。

伝道から帰還後、ユタ州立大学に入学し、そこでリサ・ジーン・ヒグレーと出会いすぐに恋に落ちました。二人は1979年4月、アイダホ州アイダホフォールズ神殿で結婚しました。夫妻には4人の息子がいます。ユタ州立大学で、経営学の学位を取得しました。後に、運動器具製造会社を共同で設立し、社長として働きました。

教会においては、ステーク会長会顧問、ビショップ、日本名古屋伝道部会長(2004-2007年)など、数々の責任を歴任しています。2008年に七十人第一定員会に召され、アジア北地域の会長会顧問、後に会長として奉仕しました。

デール・G・レンランド長老

デール・G・レンランド長老は2015年10月3日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒に任命されました。

レンランド長老は十二使徒に任命される前は、2009年4月から七十人第一定員貝で奉仕しました。それ以前は、アフリカ南東地域会長会として、またユタ州ソルトレーク・シティー地域第5定員会会員として奉仕しました。

ユタ大学で学士号と修士号を取得した後、レンランド長老はさらにジョンズ・ホプキンズ病院で医学と研究の訓練を受けました。また、ユタ大学医学部教授としても働き、ユタ州移植提携病院心臓移植プログラムの医長を務めました。

レンランド長老はスウェーデンで専任宣教師として働いたほか、ステーク会長、高等評議員、ビショップ、地域七十人など、教会で多くの召しを果たしてきました。

レンランド長老は1952年11月、ユタ州ソルトレーク・シティーで生まれました。1977年にルース・ライバートと結婚しました。娘が一人います。

ゲレット・W・ ゴング長老

ゲレット・W・ゴング長老は2018年3月31日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会に任命された。

ゴング長老は2010年4月3日に中央幹部七十人に、2015年10月6日に七十人会長会に召された後、今回の召しを受けた。2011~2015年、香港に本部を置くアジア地域会長会の一員として召しを果たし、解任された当時は地域会長であった。

ゴング長老は1977年にブリガム・ヤング大学でアジア研究と大学研究の文学士号を取得。ローズ奨学生として在学していたオックスフォード大学で1979年に哲学修士号、1981年に国際関係の博士号を取得した。1985年には米国国務省の国務次官特別補佐として、1987年には中国・北京駐在米国大使の特別補佐として勤務。1989年からワシントンDCの戦略国際問題研究所で様々な役職を務めた。2010年4月までブリガム・ヤング大学学長補佐として計画と査定を担当していた。

ウリセス・ソアレス長老

ウリセス・ソアレス長老は2018年3月31日、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会に任命された。

ソアレス長老は、2005年4月2日に中央幹部七十人に、2013年1月6日に七十人会長会に召された後、今回の召しを受けた。ソアレス長老はこれまで、アフリカ南東地域会長会顧問、ブラジル地域会長、ブラジル南地域顧問として召しを果たしてきた。

ソアレス長老は、1985年にサンパウロ・教皇庁立カトリック大学の経済学部で会計学と経済学の学士号を、後に経営学修士号(MBA)を取得している。ブラジルにある多国籍企業の会計士および監査人として働いた経歴がある。またブラジル・サンパウロの教会地域管理本部で実務ディレクターの職務を果たしたこともある。中央幹部に召されたときは、ソルトレークシティの教会管理ビショップリックで特別な責任を果たしていた。

書式ガイドの注釈:末日聖徒イエス・キリスト教会に関する記事で,教会の名称を最初に引用する際には,正式名称を使うようお願いいたします。教会の名称の引用に関する詳しい情報は,こちらへ: 書式ガイド書式ガイド.