ニュースリリース

先祖の感謝の涙

家庭歴史を通して世代を結ぶ

 

「墓石を掘り起こし、土台に並べ、表面を洗うことは、普通の家族歴史活動で経験できることではありません」と七世代に渡り名前が分かった濱武家の長男であるブレット濱武が話した。ユタ州グランツビルに住む日系四世の米国人であるブレット濱武は、熊本県山鹿市長坂にある先祖のお墓を元通りに整備し、先祖を探求することを自らの責任と考えている。

2017年4月、ブレットの妻ジャニーンと娘アナがファミリーサーチで濱武という名前を探し始めた。ソルトレークシティの家族歴史図書館で働くチヒロ・ハーパー姉妹は、日本の市役所に保管されている戸籍謄本の請求に必要となる親戚関係を証明するための生年月日と死亡日の記録を翻訳した。濱武家、ナガタ家、そしてモリカワ家の家系の戸籍謄本の請求を始めた。しかし熊本県山鹿市の本籍地が一部のみしか入手できなかったため、濱武家の戸籍は入手できなかった。

さらに調べるうちに、ジャニーンとアナが濱武家のために神殿の儀式が行われたという記録を発見した。この名前を神殿に提出したのは中野ワードの伊東桂子姉妹であった。親類関係はなかったものの、ジャニーンは伊東姉妹との文通を始めた。伊東姉妹は日本にある移民記録を調べ、ブレットの曽祖父母が米国に移民する直前まで暮らしていた土地の完全な住所を見つけた。新しく入手したこの情報をもとに、濱武家の戸籍を請求することができた。伊東姉妹は、山鹿市役所に対するブレットのキヤマ家、ミツイ家の戸籍謄本請求も手伝った。

入手した40ページにもわたる戸籍謄本についてブレットは「驚きました」と述べた。戸籍謄本には、明治維新があった1800年代中頃に生きていた先祖の名前があった。ここで再びチヒロ・ハーパーが喜んで助けの手を伸べ、戸籍の内容を翻訳し、先祖の名前、生年月日、死亡日を伝えた。濱武家は神殿の儀式としてまずバプテスマを懸命に受けた。そして、その後に奇跡が起こることを願った。

山鹿市の濱武家の正確な住所がわかった後、最近フェイスブックで友達になった濱武テルミツの助けを得ながら、先祖の墓があったであろうと考えられる場所を見つけることができた。

この時点まで、ブレットは濱武家についてはほとんど知らなかったという。ブレットの父ロバート濱武と祖父イチロウ濱武はカリフォルニア州サクラメントで生まれたということは知っていた。また曾祖父母の濱武ヘイゾウとキヤマ・ミヨシが1900年代初期、より良い人生を求めて熊本県から米国カリフォルニア州サクラメントに移民したことも知っていた。

1925年、ブレットの祖父イチロウ濱武は、兄弟2人とサクラメントの野球チーム「サクラメント・ニッポン・スターズ」のメンバーとともに日本を旅行した。この野球チームは日系米国人の若い男性たちからなるチームであった。カリフォルニア州にある米国国立公文書館に行ったブレットとジャニーンは、ブレットの祖父イチロウがニッポン・スターズとともに日本に渡航した際に使ったパスポートを見つけた。ブレットは、日本中のあちこちを回りながら撮影されたチームメンバーの写真が入ったアルバムを所有することができただけで幸運だったと考えている。イチロウは日光から熊本へと様々な場所を旅しながら写真撮影を行っていた。

濱武姉妹は自身が「ハガキの奇跡」と呼ぶ出来事を伝える。伊東姉妹は何らかの情報が得られないかとの期待から、米国に住む濱武家に代わり、濱武家の家族が最後に住んでいた場所にハガキを送った。宛先となった土地には濱武家が住んでいなかったことから、配達担当の郵便局員はハガキに返事を書いてくれる濱武姓の人はいないかと一軒ずつ家を尋ねて回った。妻の旧姓が濱武だという男性ゴトウ・フトシさんの家を郵便局員が訪れたとき、ゴトウさんの娘エリさんが家にいた。ハガキが重要なものであると気が付いたエリさんは、ハガキに返事するという役割を引き受けた。

嵐が去った翌日のすがすがしいある朝、ゴトウ・フトシさんは濱武家の墓地を見つけた。そこは竹、つる、野草に覆われていたが、前日の雨によって奇跡的に墓石に彫ってある名前が光って目に入り、名前を読むことができた。この墓を発見した後、彼はハガキに返事を出し、濱武家の墓が見つかったことを知らせた。

この嬉しい知らせが一連の出来事を生み出した。ゴトウさんはブレットに墓と墓地が面する道の写真を送った。墓のすぐ後に住む濱武チエコさんは濱武家の墓石に刻まれている名前と日付をメモに取った。ブレットはグーグルのストリートビューを使って墓地を見ることができ、大いに喜んだ。

ブレット濱武と妻ジャニーンと3人の娘サラ(26)、アマンダ(22)、アナ(17)が来日の計画を立て始めると、さらなる奇跡が起り家族探求への努力がますます加速した。貯まった飛行機のマイレージを使って、5人のうち4人分の無料航空券が入手できた。

2018年5月9日、濱武家は日本の羽田空港に到着した。「先祖と同じ国に来たということ、そして先祖がいたであろうところを訪問することができたことで、先祖に敬意を払うことができたと思います。わたしたちはそこに導かれて行きました」と先祖の墓を初めて訪問したブレットは話した。

ブレットはこの経験について「先祖が実際に暮らしていたという印にあふれていました。先祖の存在を感じました。そこに立つと現代のこの世を忘れて、先祖たちが住んでいた場所を感じることができました。彼らは豊かで宗教心を持ち、自分たちの知る方法で神を礼拝する人々でした」と話した。

家族探求を行ううちに曾祖母キヤマ方の4番目のいとこが昔の家の近くに住んでいるのがわかった。日本の伝統的な音楽がスピーカーから流れる中、ブレットと家族は3代前の祖父キヤマ・モモサクが道を作り、甘柿とキビを育てた場所を訪れ、キヤマとミツイの先祖の多くの遺骨が眠る神社も訪れた。

濱武家の日本の旅は4週間にわたる家族歴史めぐりで、野球チームとともに祖父が旅した時に写真を撮影したのと同じ場所を訪れるというものであった。家族はブレットが末日聖徒の伝道奉仕を行った東京、祖母モリカワ・シゲコ方の先祖が暮らした三重県に加え、広島、大阪、奈良、京都、日光を回った。

2019年3月4日、ブレット濱武は再び先祖の土地を訪れた。彼は先祖代々の墓を修理する責任があると感じていたからである。今回は一人で来日し、カプセルホテルに泊まり、毎日墓地まで約8 kmの道のりを自転車で通った。

ブレットは自分で墓の整備をすることを決めた。ぞれぞれの家族が亡くなった後に整えられていたように墓石を元々の順番に並べるために積み上げた。「自分でやるということに意味がありました」とブレットは話した。墓石は大きくて重く、整備は困難を極めた。墓石が大きいことから、ブレットの先祖は侍か士族であることが考えられると聞いたが、正確なことは不明である。

ブレットが墓地で汗を流していると、横を通り過ぎる人々は「ご先祖様は喜ばれているに違いない」と声を掛けて行った。親戚である可能性がある人々も彼の努力を称えた。声を掛けてくれた人々の中に、ブレットは自分の父親に似た人を見つけた。

あいにくの天候であったが、ブレットは毎日墓地に通い、懸命な努力を続けた。ある雨の日、ゴトウという一人の男性がブレットに「雨はご先祖様の喜びの涙ですね」と声を掛けた。

ブレットの滞在中、長坂では毎年恒例の祭りである「なれなれなすび踊り」が開催された。男性たちが麻の衣装を身にまとい、太鼓の周りで踊り、恵みの雨と豊作を願う踊りである。踊っている人の中にも濱武姓の人が何人かいた。町の長老らはブレットに、そばに座るように招いた。町の人たちはブレットが何をしているかを知っており、先祖の探求に支援の手を差し伸べてくれた。

親類関係が戸籍上では証明されていないものの、ブレットは村の多くの人々が自分の親戚だと信じている。

多くの記録が発見されたという奇跡に関して、ジャニーン濱武は「日本への旅で学んだことの一つに、天父はわたしたちの努力に報いてくださるということがあります。受ける報いの大きさは計り知れないほどです」と話した。

ブレットは「家族歴史を始めて自分が先祖とつながっていけば、もっと先祖を見つけたくなり、ますます調べるようになります。御霊を感じ、先祖の御霊を感じれば、先祖の名前を見つけることは可能です」と自身の経験について述べた。

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