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ブルース・D・ポーター長老永眠する

七十人のブルース・D・ポーター長老の葬儀がソルトレイクシティ近郊にあるバウンティフルにて行われ、レイくビュー・メモリアル墓地に埋葬された。

家族、友人、教会指導者が葬儀に出席した。

 

ポーター長老は64歳で逝去。末日聖徒イエス・キリスト教会の中央幹部として奉仕しており、12月28日、家族に見守られながら自宅で亡くなった。モスクワを拠点にヨーロッパ東地域会長会にて奉仕していたが、2016年の初めに健康上の理由で合衆国に戻ってきていた。

七十人会長会のL・ホイットニー・クレートン長老が葬儀を管理した。

葬儀ではポーター長老の子どもたちであるデビッド・W・ポーター、クリストファー・J・ポーター、リサ・J・ブルックス、ジェニファー・R・アンダーソンがそれぞれ、亡き父の思い出を語った。

特に、どの子どもたちも、健康上の問題で多くの試練があったにもかかわらず、弱ることのなかった父親の姿について語った。息子のデビッド・W・ポーターは、「最後の25年は、非常に重い病状にありました。辛かったと想像しますが、いつも満面の笑みを浮かべて、心を尽くして教会のために奉仕していました。」と父親について語った。また、クリストファー・J・ポーターは、「すべての面で悩まされていましたが、病に屈することはありませんでした」と述べた。

七十人会長会のドナルド・L・ホールストロム長老、十二使徒定員会会長のラッセル・M・ネルソン長老らが、弔辞を述べた。

ホールストロム長老は、ポーター長老が抱いていた東ヨーロッパの人々に対する献身と愛について語った。東ヨーロッパの人々が直面している難題のすべてに対して、「ブルースはいつも、自信をもって進みましょう。わたしたちは主が司っておられるのを知っているのですから」と言って励ましていました。

葬儀の後、息子のデビッド・W・ポーターが墓を奉献した。

ブルース・ダグラス・ポーター長老は1952年9月18日にニューメキシコ州アルバカーキ―で生まれた。1977年2月にはスーザン・エリザべス・ホーランドと結婚。1995年4月1日、末日聖徒イエス・キリスト教会の中央幹部七十人に任命された。

教会にて専任奉仕者となる以前は、ブリガム・ヤング大学で政治学を教える教授であった。また、それ以前は、ハーバード大学の主任研究員、合衆国国際放送理事会の理事長を務めた。

政治、宗教の分野での著書も数冊あり、ロシア語に堪能であった。葬儀では、ホールストロム長老がポーター長老について、教養があり、学者肌であったことを言及する場面もあった。娘のジェニファーは、「父はいつも本を読んでいて、会話ではよくそのことが話題になりました」と語った。

教会は彼の逝去にあたって次のような声明を発表した。「わたし共の祈り、思い、感謝の気持ちは、奥様のスーザンさんとご家族とともにあります。ポーター長老の人生の最終章において捧げていただいた素晴らしい奉仕と働きに多大なる感謝を表明いたします。彼の死を悼んでやみません。」

妻のスーザン、4人の子どもたちと11人の孫を残しての逝去であった。

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