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福岡で家族,友人が「家族歴史フェア」に集まる

 2019年4月20日の土曜日、福岡ステーク家族歴史フェアでは、情報を詰め込んだ袋を手にした笑顔のスタッフが150人を超す人々を暖かく出迎えた。家族歴史スペシャリストの新海玉喜兄弟と妻の新みどり姉妹を初めとする家族歴史コンサルタントたちの熱心な努力があり、フェアが成功裏に終わった。

会場では参加者にファミリーサーチが運営する家族の歴史を編さんできるwww.familysearch.org の使い方を教えるワークショップと、調査方法を示すブースが用意された。また、高野信治教授と岸 信子姉妹が講演を行い、リフレッシュメントの時間には短いビデオが上映された。

九州大学で歴史を教える高野教授は、古代日本における家族の起源とその概念について講演。1670年から1872年までの江戸期における寺の宗門帳の入手方法と解読方法を説明し、また、1872年から現在までの出生、死亡、結婚、離婚、養子縁組を記録している戸籍についての説明も行った。一族の名前が確立されており、職業が分かっている場合に家族縁戚関係を最もスムースにさかのぼることができるという。

反対に、明治維新前の農民階級の子供を見つけることは難しい場合がある。両親を亡くしたり、両親に子供を養う力がなかったりした場合、子供たちは村の中で散り散りにされ、養育は村の人々によってなされたためである。こうした子供たちは、食事や住む場所を提供した家の使用人となることが多かった。もう一つ探求を難しくするのは、成人後自分の一族を嫌って姓を変える人が時々あったことである。こうした複雑な背景が問題となって先祖の探求を難しくしている。

高野教授は宗門帳を見せ、宗門帳からどのように個人を数えるかを説明。大名や部族間の戦いが支配していた日本が家族中心の社会となったのは江戸時代に入ってからであった。平和の安定とともに人々は繁栄し、農地は60パーセント広くなった。子供を育て、その子供たちがさらに自分の子供たちを育てるための、複数世代の人々が暮らせる家が必要となっていった。家族が年貢として支払った米の量がそれぞれの名前の横に記録されている。

もう一人の話者、岸信子姉妹は10人の子供の母親であり、仕事として講演を行い、少なくとも一月に一度は教会内外で講演会を開いている。姉妹は日本で大勢の子供を育てることの祝福と大変さ、また、福音から得られる助けについて語り、こう教えた。

「子供たちにあなたが愛していることを伝えることは大切です。そうすることで子供たちの自己評価が高まるからです。そうしなければ,子供たちは他の人たちとつながってしまいます。」また、岸姉妹のご主人は岸姉妹に一日3回は、愛していると言う。

ある日、家族が二人の結婚記念日を祝うために集まっていたとき、一組の夫婦宣教師が訪ねてきた。白髪の長老は岸姉妹に、わたしの妻を愛することは簡単です、と言ったそうである。岸姉妹は、自分の夢は、夫が子供たちの前で「あなたを愛するのは簡単です」と言ってもらうことだと語る。

フェアでは、ひめゆりの塔で生き抜いた女学生の半生を描いた「ひいおばあちゃんのたすき」が上映された。太平洋戦争末期の沖縄戦で陸軍病院壕の看護師に女学生が動員された「ひめゆり学徒隊」のひとりで「鉄の暴風」と形容された戦場から生還した仲里正子さんが,ひ孫のうたちゃんに語り継ぐ戦争体験とファミリーヒストリーの物語である。ビデオは会場を渡りあるく人々の足を止めた。https://www.youtube.com/watch?v=tIutMFm8IQ0&t=17s

家族歴史の訓練と並行して、良い話し合いが行われ、食事も振る舞われる中、出席者にとって家族の大切を振り返る大切な一日となった。

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