ニュースリリース

ボイド・K ・パッカー会長が逝去

末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会会長であるボイド・K・パッカーが本日,2015年7月3日午後2時(ユタ州ソルトレークシテー時間)に自宅で老衰のために亡くなりました。90歳でした (1924年9月10日生まれ)。

パッカー会長は,亡くなったとき,十二使徒定員会の会長として奉仕していました。2008年2月3日から務めた責任でした。 それ以前は,1994年6月5日から,十二使徒定員会会長代理として奉仕しました。 パッカー会長は1970年4月9日に十二使徒に聖任され,教会の中央幹部として50年以上にわたり奉仕しました。

何十年にもわたって,パッカー会長はイエス・キリストの福音を宣言し,教会が今や会員数1,500万人を超えるまでに世界的成長・発展を遂げるうえで重要な役割を果たしました。

「彼が教えたレッスンは人々の心と思いに長い間影響を及ぼしています。」パッカー会長の息子であり,七十人定員会会員でもあるアラン・パッカーはそう語っています。

1979年から1981年にかけて,パッカー会長は他の教会指導者や聖書学者とともに末日聖徒の聖典を新たに編集する委員会で奉仕しました。 新版には,教会員の聖文学習能力を大いに高めてくれる参考資料やフォーマットが収められています。 この企画に関して,パッカー会長はこう語っています。「年月を経るに従って,この聖典に触れる人々は,次々と主イエス・キリストを知って主の御心に従う忠実なクリスチャンとなっていくことでしょう。」 さらに続けてこう述べています。「その参照聖句は4つの標準聖典からのものであり,この標準聖典には世界史上一度  も収集し得なかったほどの量の主イエス・キリストの使命と教えに関する聖典から得た情報が収められているのです。」  

2014年4月に行われた教会の総大会で,パッカー会長はこう宣言しています。「これまで長年生活し,教え,奉仕し,世界中を何百万マイルも旅したことで経験してきた全てのこととともに,わたしが伝えたい一つの偉大な真理があります。 それは救い主イエス・キリストについてのわたしの証です。」  

パッカー会長は1924年9月10日ユタ州 ブリガムシティーで生まれました。 第二次世界大戦中は,太平洋戦区で爆撃機操縦士を務めました。 教育者としての経歴を持ち,教会の宗教教育 セミナリー ・ インスティテュート のスーパーバイザー,またブリガム・ヤング大学管理評議会会員などを歴任しました。   

パッカー会長は,ウィ-バー短期大学で学び,続いてユタ州立大学で科学の学士号と修士号を取得しました。 また,ブリガム・ヤング大学で教育管理の博士号を取得しています。  

福音の原則を教える卓越した教師として,教会員から広く尊敬を集めました。 こう教えています。「福音の教義を研究することは,人の行動を研究することよりも,ずっと速やかに行動を改善する力があります。」パッカー会長はそう教えています。

パッカー会長は,イエス・キリストの福音の恐れを知らない擁護者としてもよく知られ,教会の教えと教義について大胆に語りました。 「福音に関する力強い証,生まれ持った救い主と人に対する愛があり,大切なことを周囲の人々に伝えたいという望みがありました。」アラン・パッカー長老はそう語ります。 「そういったことを知っている以上は,その知識を伝え,分かち合い,教えなければならないという責任を感じていたのだと思います。」パッカー会長は生涯を通じて多くの書籍や出版物を著しており,また優れた芸術家でもあります。

 教会において重責を担ってはいたものの,パッカー会長が最も優先したのは家族でした。 息子であるアランは,父のことについて触れ,家庭の中でいつも機会をとらえては教えることができるようにしていたと語っています。 「彼は何と言っても父親です。父はこの責任を最優先にしています。」 パッカー会長には,ドナ夫人と10人の子供,60人の孫がいます。

葬儀については詳細が分かり次第,教会から発表される予定です。 パッカー会長の空席を埋める十二使徒定員会会員がいつ召され,発表されるかは未定です。  

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